修練に必要なもの | 植松努のブログ

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講演でしゃべりきれないことを書きます。

僕は、子どもの頃、習い事が続かない子どもでした。

「やってみたい!」とおもってはじめて見ても、
「思っていたのと違った」と感じたら、やりたくなくなります。

そのときにいつも言われたのが

「あんたがやりたいって言ったんでしょ!?
言ったからには最後までやりなさい!」

でした。

ま、そう言われても、結局やめてしまう訳なんですが・・・。

でも、この言葉は、けっこうつらい言葉です。

よくわからないから、やってみたいとおもった。
やってみたら、思ったのとちがった。
というのは、良くあることです。
だのに、それを最後までやり続けなくてはいけない、のであれば、
そもそも最初から、「やってみよう」とは思わなくなるでしょう。

「やってみたい」と言った、のは、「過去」です。
「やめたい」と思ってるのは、「現在」です。
であれば、尊重されるべきは「現在」のような気がします。

もちろん、もうちょっとやったら面白くなるんだよ。今やめたらもったいない。

という意見もあるでしょう。
たとえば、大抵のことは、基礎的な筋力がないとできないものです。
その基礎的な筋力がつくまでは、やってもやってもうまくいかないから、面白くないです。
そういうときは、「やってれば面白くなる」という未来のことよりも、
「今のトレーニングが面白くなる工夫」をしたほうがいいと思います。

僕は、小学生の頃に、スキーの検定を受けます。
正直言って、苦行です。
友達が自由に楽しそうに滑っているのに、

僕だけ、大人に混じって並ばされて、

「ひじ!」「あし!」「こし!」「手が下がってるぞ!」などと怒られつづけます。
しかも、頭にくるのが、

翌年になったら、言ってることがまるで違います。
手を水平に近くなるほど挙げて滑れと言われたのが、

手は下げろと言われてみたり。理不尽きわまりない。

僕は、2級でやめてしまいます。
「もったいない!」「もう少しで1級だ!」などとさんざん言われましたが、やめました。
だって、僕は級もバッヂもいらないのです。
僕は、自由に楽しく滑りたかったのです。

僕は、名古屋に行ってからスキーにはまります。
すくなからずの人が、スキーを教えて欲しいと言ってくれました。
最初は、自分がされたことをマネしてみました。
基本をしっかり、とやりました。
ひたすらボーゲンの練習です。
でも、それをやってる時、習ってくれてる人は楽しそうではありませんでした。


だから、変えました。

まずは、「たのしい!」「おもしろい!」を伸ばすことにしました。
そうしたら、滑りたくなります。
滑ってるうちに、筋肉がついてきます。

そのときに、ちょこっとアドバイスすると、うまくなって、もっと楽しくなります。

ビデオも有効でした。
ハンディカムを懐に入れていって、滑っているところを撮影します。
それを、家に帰ってからみんなで見ます。
それだけで、自分の姿勢などがわかって、すごくよくなりました。

また、道具も重要でした。

スキーがどうしても重なってしまう人がいました。
僕も子どもの頃はそうでした。
そのたびに「スキーを重ねるな!」と怒られました。
僕は、自分が悪いのだと思っていました。
でも、スキーの整備を学んでから気がつきました。
買ったばかりのスキーは、左右がアンバランスだったりします。
また、先の方までしっかりエッジが立っています。
それを、先の方だけ、ストックでなぜる程度で、エッジの効きを弱くできます。
たったそれだけで、スキーが重ならなくなったりします。
うまくいかないのには、必ず原因があります。道具の影響も大きいです。
それらをしっかり見つけて改善していったほうがいいです。

どんなに理論的に説明しても、
筋力が足りなかったり、恐怖心があったり、道具がよくなかったりしたら、
理論どおりになどいきません。
筋力には時間がかかります。努力も必要です。努力の為には楽しさが必要です。
恐怖心を減らすためにも、楽しさが必要です。
道具のためには、知識と技術がある人がいれば一発解決です。
てことは、修練に重要なのは、

1位 「よい道具」

2位 「楽しさ」

3位 「理論」

ですね。

「よい道具」と「楽しさ」を抜きにしては、修練は不可能でしょう。
だけど、日本では、
「修練」=「しかめっつら」「がまん」「忍耐」=「真剣」「一生懸命」
と考えている人が少なくないです。
ついには、しかめっつらや、がまんや、忍耐が目標になっちゃったりするケースもあります。
それじゃあ、人は育たないねえ。

これは、子どもの習い事に限りません。
新人さんの人材育成でも一緒です。
「やってみたい」ということは、
まずは、「よい道具」と「楽しさ」によって伸びていくでしょう。

それを与えないのは、育成者としては失格だと思います。

僕は与えることができてるかねえ・・・。